運命と自由意思
今日は、小林正観さんの話から、人生は100決まっているというお話です。
このお話には異論反論沢山あることでしょう。また初めてお聞きする方もいらっしゃるでしょう。
私も、昔は
努力すれば道は開ける
引き寄せの法則を使えば何とかなるんじゃない?
人が一所懸命に歯を食いしばって頑張ることは美しい
我慢すれば、いつか道は開ける
とか、信じていました。
ですが、小林正観さんの般若心経の解釈を聞き、目からうろこと言うか、ブッダの述べた真実らしきものに触れることが出来ました。
それはまさに今日のテーマ人生は100決まっていると言うことです。
以下、正観さんの本からご紹介します。引用元
解釈の難しい部分は補足しておきます。
引用開始
悩み苦しみは、今、目の前にある現象が自分の思う通りになっていないことから生じる。だから、物事を思い通りにしようという思いを持たないことが大切注これはブッダの般若心経の真髄です
全て決まっているのだから、もがいたりせずに流れに身を任せればいい。
未来の結果はすでに決まっているので心配することは意味がない。
未来は、すべて自分のプログラムの中にあって、もともと決まっているんです。
ですから、未来に私がどうなるかとか、何とかしたいと思って一生懸命やらなければとか、心配する必要はないんですよね。
最終的に、私達が選んだ結論が、必ず生前に自分の決めてきたものと一致するのですから。
そう思いたくない気持もよくわかります。
私も最後まで抵抗し続けたものが、未来は確定的に決まっているという事実だったんです。
どうしても受け入れたくなかったですね。努力すればなんとでもなる、と思っていました。
しかし、努力によって何かがなるのではなく、生前に自分で決めたプログラムどおりに淡と進行するだけであると知りました。
今、私たちは顕在意識として自由意志を100手に入れている、といっていいでしょう。
どちらも選べます。でも潜在意識では、もうどちらを選ぶかをすでに決めています。
だから顕在意識で思うとおりに選べばいいんです。
今私たちは選択肢があると思ったらどのような選択をしてもいいし、それは完全に自分の自由意志だと思ってかまわないけれど、その自由意志によって選んだ瞬間に、その選んだ結果は全部、生まれる前に自分で決定しておいたプログラムどおりという不思議な構造になっているんです。
完全な自由意志はあるのだけれども、実は自由意志だと思っていることは、生まれる前に自分自身の自由な意志で書いているのであって、生まれてから起きることは、100全部決まっているんです。
けれども、顕在意識でものをとらえた場合は、完全に自由意志で選んでいると思っていいんです。この話を受け入れる自由もありますし、拒否する自由もありますが、ただ考えることに意味がないんです。
人生は自分が書いたシナリオ通りだ。
それが納得できると、やってくる現象一つ一つに対して、あれこれ論評や文句を言わなくなります。
逆に、自分が書いたシナリオが今日どんな形で現れてくるのか、わくわくしながらその現実を見られるようになります。
このシナリオは、いい悪いがありません。何が起きても何が来ようといいんです。
淡と過ぎていく現実を見ていればいいのです。自分が書いたのですから。
どうも私たちは、自分の人生を、生まれるときから死ぬときまで、すべて事細かにシナリオを書いて来たらしいのです。
人生はシナリオの大筋とか重要なことは決まっていても、細かいことやどうでもよい些細なことまでは決まってないんじゃないか、という人がいます。
でもどこが太いパイプでどこが細い糸で、というのはないんですね。
全部一緒です。重要なことと重要じゃないこと、というような区別はなくて、すべてがもう既に決まっている、ということです。
人生は今をどう捉えるかの訓練である過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。
そう捕らえられるようになるための人生70年、80年なんです。解りますか?
だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、人生の達人からすると初級なんです。
そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、
当たり前のことに喜べるようになった人を人生の達人の中級者といいます。
そして、病気だとか事故だとか、いろんなトラブルだとか艱難辛苦だとかいうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、ありがとうと言える人を人生の達人の上級者と呼びます。
私たちは、生まれる前に、自分の人生を自分でシナリオを書いてきているんですよ。
生まれた後に、目の前に起きてきた現象についてどう反応し、どう評価するかってことを死ぬまで、ずっとやっていく。
死ぬときまでにこういう話を聞かないで、つまらないとか悔しいとか、頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。
人口の99999999はこういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。
僕も23歳位の時に頭の中から魂がスポッと抜け出し天から金色の糸で引っ張られ操り人形のようにある場所へ連れて行かれたことがありました。
自分ではないけど、自分の傍にいる見えない二人の方に導かれ体が勝手に動かされました。体はボロボロに弱り果てているのに凄く懐かしく嬉しい状態になります。そして、その数分後、本当に懐かしい人が現れました。
その時に幾つかの未来が見えその通りになりました。
その時、声も聞こえたのですがそれはまだ確認の仕様がないので分かりません。というかその時、聞こえた声と言うのは僕が事実ってことを認めたくないのかもしれません。
天から金色の糸で引っ張られるような体験をしたのは一度だけでしたが、それ以前にも守護霊さんのお陰で何度か命の危機を助けて頂いたことがありました。なので人は寿命でない限り死なないってことはよく分かります。病気も事故も自殺もシナリオ。
本のような台本があって、電車に乗って風景を見るような感じで人生って進んでいくものかもしれません。
引用終了
如何でしたか?
人生で起こることは、全て生まれる前に、自分の自由な意思でシナリオを決めて来た。
生まれた後は、自分では、その時、その時の判断決断で決めて生きて来たと思っているけれど、実は、その決定も、生まれる前のシナリオ通りの決定を行っており、結果として、生まれる前のシナリオ通りに、事が運んで来た。。と言うことです。
反論も多いでしょう。無理に信じて下さいとは申しません。
生まれる日時
人との出会い別れ
結婚、子供、家族
就職
ケガ病気事故
貧乏な時期、裕福な時期
幸せな時期、苦汁をなめる時期
ケンカする時、仲良くする時
怒る、イライラするキッカケ、タイミング
死ぬ時
などなど、全てがシナリオ通り。自分の書いたシナリオ通り、ベストなタイミングで起こるように設定されているのだそうです。
もし、この正観さんの仰ることが本当なら、それには、どんな理由があるのでしょうか?
神様はどうしてこのような仕組みを作ったのでしょうか?
私達は、その仕組みに納得し、シナリオを書きました。
生まれる時は、自分自身で、母のおなかの中でホルモン分泌の調整をして、生まれる日時を赤ちゃんの自分で決めて、出てきました。
この仕組みの意味。たぶん、それは全て自分自身の魂を磨く為です。
生まれてから、死ぬまで、色んな人と出会い、喜び、そして時期が来て別れ、悲しみ、また新たな出会いに備える。
病気を設定し、人の思いやりに感謝し、平凡な暮らしであっても、健康であることに感謝をする。
魂のぶつかり合いを経験する為に、伴侶と出会い、子供を作り、感情を揺さぶられながら家庭を営む。
思い通りにならない子供の態度に、ある時、ふと自分自身の写し鏡の役割をしてくれていたと気付く。
貧しくて、貧しくて、どうしようもない生活の中で、家族で工夫しながら、共に居られることを喜び、貧しい暮らしの中で、小さな喜びを分かち合い、みんなで楽しく暮らす工夫をしていく。
結婚することで、相手の家族と縁を結び、前世からの果たせなかった恩を返す。
様な理由があることでしょう。
今生きている私達には、そのシナリオの裏に隠された深遠な意味は、封印されています。
ですから、できることは、目の前に起こって来る、様な出来事に、不平不満、愚痴や文句を言って心を汚すのではなく、その起こってくれた現象に感謝して受け入れること。。
淡と運命に流され、様な感情を味わうこと。
それらを通じ人と助けあい、和合して暮らして行くことを学ぶことなのかもしれませんね。
写真はネットからお借りしました。